個人の事柄
死後に残すもの
Stone, paper, network
研究の成果ではありません。個人の事柄なので、研究の自己紹介から分けて、ここに置いています。
残る先は三つ
石・紙・デジタル
死後に残るものを、生きているうちに整えている。残る先は三つある —— 石、紙、デジタルである。いま現に在るのは、墓と ORCID と DOI である。諡名は死後に刻み、学位はまだ無い。
石は、墓石と諡名(おくりな)である。家の伝統は神葬祭で、祖母は神職の家系の出であり、すでに家の祖霊神として祀られている。著者の名の漢字も、神社で付けられたものである。その伝統の上に、例外を一つ置いている —— 生前神葬祭の手続きを進めている。地元の葬儀社との事前相談は済んでいる。神道には仏教の戒名に相当する諡名があり、一般には生前の姓名に「大人之命(うしのみこと)」などを加える。形式には神社・神職による違いがある。墓はすでにあり、その奥津城に諡名を付した姓名を刻む。生前の姓名を基礎として、死後の神名を構成する。そこに著者が感じている神道の死生観がある。神道の形式については、原典に当たっていない。ここに書いたのは著者から受け取った説明であって、こちらで確かめたものではない。
紙は、博士(学術)である。自己紹介の「これからの二つ」に挙げた一つにあたる。まだ持っていない。取得する計画があるだけである。「博士(学術)」は、学際的・複合的な研究を対象とする課程などで授与される学位の名称の一つである。学位は本人の死亡によって消滅せず、授与の記録は大学の側に残る。時期は、両親が存命のうちに、と決めている。ただし、それを期限として書くことはできない。期限を決められるのは著者の側ではないからである。三つのうち、これだけが未着手である。
デジタルは、ORCID と DOI である。ORCID は研究者が生涯を通じて使う永続的な識別子で、本人と業績を結び付ける基盤にあたる。公式の FAQ は、生前に作られたレコードが死後も本人の設定のまま維持されると説明している。管理を委ねる仕組み(Trusted Individual)もある。この説明は原典に当たっていない —— 作業環境から orcid.org が見えないためである。いまは誰にも委ねていない。DOI は ISO 26324 が定める永続的識別の体系で、解決先の変更に対応できるように設計されている。すでに取得した番号は、論文とともに書誌の痕跡として残る。
石に諡名を付した実名、紙に学位、ネットに ORCID と DOI。伝統の上に例外を一つだけ置いて、自分が死んだあとに何が残るのかを、生きているうちに整えるということである。三つのうち一つは、まだ無い。
不犯の誓い
合理的な神の前で
十九歳で、合理的な神の前に「不犯の誓い」を立てた。生涯、不犯を貫く。この誓いについては、両親の理解を得ている。
十九歳は、心身統一合氣道の五級と、心身統一道の初級を受けた年でもある。心身統一合氣道での昇級は、これが最後になった。誓いは、その節目に重ねて立てている。二つの級は CV の「武道」に置いてある。本人の申告であり、入門の段階の級である。
ここでいう神は、奇跡や啓示の神ではない。理詰めで考えた結論を承認する、理性の側の神である。誓いはその神への宣言であり、自分の理性が出した結論に、自分自身を縛ることでもある。
誓いは、三つの伝統の論理の上に立っている。仏教からは誓いの形を借りる。不犯を誓うことで、ただの状態が、自分で選んだ行いになる。神道からは名を借りる。上の「石」の段のとおり、生前神葬祭で、死後に祀られる名を今のうちに定めている。キリスト教的反出生主義からは赦しの読みを借りる。生まれないほうが良いとするなら、生まれたこと自体が原罪の根拠になる。系譜を自分の代で閉じる者については、神がその原罪を取り消したものと見なすことができる。
童貞そのものに価値はない。価値がないからこそ、誓いと、名と、赦しを受け取る器になれる。価値があるなら、赦しは功績への報酬になってしまう。
これは、三つの伝統そのものの教えではない。伝統の前提を借りて、理性が一つの決断として束ねた解釈である。三つの伝統はどれも、婚姻と子孫を肯定している。だからこの誓いは、他の誰かの生き方を否定するものではない。自分の生をどう閉じるかについての、自分自身の決めごとである。
誓いは、守り通して初めて意味を持つ。ここに書いたのは宣言であり、その始まりにすぎない。